May
9th
Sun
9th
もしも、明里の伝えた「きっとこの先も大丈夫」という言葉に、私がいなくても大丈夫だという思いが込められていたのであれば、あまりにも悲しすぎるではないか。ちっともそうではなかったのに。貴樹は夢の中で、もしかしたら、宇宙を駆けた果てであるのかもしれない世界で、明里を探していたほどであったのに。
もちろんそのような悲しい達観でなくても、人は時間とともに傷を忘れることが出来る生き物だし、明里が結婚を決意するような相手に出会い愛し合うに至ったことに納得することは出来る。というか、そうであって欲しい。「貴樹君はきっと私がいなくても大丈夫だから、私は私を必要としてくれるこの人と一緒に過ごそう」――そのような思いがベースでなければいいと心から思う。しかし、そう思うのだけれど、一度そのような深読みに至ってしまった以上、僕はそう思い込んでしまって、余計に悲しくなってしまうのだ。
しかし、ここで僕を救ってくれたのが花苗の存在だ。友人がこの映画について、
「鑑賞中から「これは男子向け映画」という印象もまたある。
女子は「男子の過去感傷」に好意的ではない。
第2話に登場する少女は「男がつくる理想憧憬少女」だった。
この少女に、女子は鼻白むのではないか。」
と、mixiの日記にて書いており、実際に僕も、最初は花苗の存在を描くことにそこまでの必然性があったのだろうか。鹿児島に行ってからも、貴樹が明里を思い続けていたことを描くだけなら、さや当てのように彼女を登場させることもないのではないだろうか?――と思っていた。しかしその友人は、
「「感傷喚起」がこれでもかと押し寄せてきて、頭の中がごっちゃりしている。
興奮としかいいようのないものがまだ持続している。
(ただ、それは「感動」とは別種のものである)」
「いい映画を『観た』というより、いい映画を『観てしまった』。
たぶん、あと数年は観返せない。
この「興奮」を受け止められなるにはまだ余裕がない」
とも書いていて、僕も違和感を感じはしたものの、その美しい風景描写と相まって、とても強い印象を受けはしたのだった。そしてその印象を引き摺るように見返し、気になるシーンのコマを止めることにより、新たな発見と深読みに出会い、さらに心が揺さぶられることになった。
そこで僕が(勝手にそう)感じた、貴樹と明里のすれ違い方の救いの無さに対する感傷を、最もファンタジーの中にいるように思えた花苗のストーリーが、程よく中和してくれるのだ。
当たり前と言われればそれまでの話ではあるが、2人が互いに願いながらもずっと一緒にいることが出来なかったように、花苗も、貴樹と互いに好きあう関係にはなれなかったのだ。報われないことはあるという当たり前の、しかし、つい貴樹と明里に強くフォーカスして、必要以上にそれを悲劇的に受け止めてしまいそうな自分に、花苗は適度な現実的なブレーキをかけてくれた。
そしてその現実感が、さらに2人の思いの手触りを確かなものにしてくれたと言える。
ラストシーン。電車が通り過ぎた時、明里はそこにいなかった。我々はつい先程見たばかりの、あの頃はそこで踏み切りよ早く上がれとばかりに待ち構えていたであろう、あの少女はもういない。しかし貴樹は、一瞬驚いたような表情になるものの、ほんの僅かながら、微笑みを浮かべ、踏み切りが上がると同時に確かな足取りで歩き出した。
もしかしたら、ようやくここで初めて、貴樹は明里に対して「きっと大丈夫」だと思うことが出来たのかもしれない。そうは言っても、一部で囁かれているように鬱エンドと捉えることも充分に可能だとは思うのだけれども、しかし、やはりこれはハッピーエンドなのだろう。きっとここから、2人はそれぞれの人生を、力強く歩み始めることが出来るに違いない――特に根拠もなく、直感的に僕はそう思った。
単純に、男はぐじぐじ引き摺りやすくって、女性はそこら辺強い、って思ったりもするんですけどね(苦笑)。
まあしかし、何とも妙な残り方をする作品であり、とにかく興味を持ったなら見ていただければ、とは思います。誰しもにオススメ、というわけではないのですが。
ただ、この映画は、第一話のところで書いたとおり、自分の記憶がベースとなって(別にそんな甘酸っぱいエピソードなんぞなくても)、強く感傷を刺激される作品であると思います。誰かを好きになり、その思いが届かなかったことがある人であれば、心のどこかしらを突っつかれる何かがあるのではないでしょうか。
もちろんそのような悲しい達観でなくても、人は時間とともに傷を忘れることが出来る生き物だし、明里が結婚を決意するような相手に出会い愛し合うに至ったことに納得することは出来る。というか、そうであって欲しい。「貴樹君はきっと私がいなくても大丈夫だから、私は私を必要としてくれるこの人と一緒に過ごそう」――そのような思いがベースでなければいいと心から思う。しかし、そう思うのだけれど、一度そのような深読みに至ってしまった以上、僕はそう思い込んでしまって、余計に悲しくなってしまうのだ。
しかし、ここで僕を救ってくれたのが花苗の存在だ。友人がこの映画について、
「鑑賞中から「これは男子向け映画」という印象もまたある。
女子は「男子の過去感傷」に好意的ではない。
第2話に登場する少女は「男がつくる理想憧憬少女」だった。
この少女に、女子は鼻白むのではないか。」
と、mixiの日記にて書いており、実際に僕も、最初は花苗の存在を描くことにそこまでの必然性があったのだろうか。鹿児島に行ってからも、貴樹が明里を思い続けていたことを描くだけなら、さや当てのように彼女を登場させることもないのではないだろうか?――と思っていた。しかしその友人は、
「「感傷喚起」がこれでもかと押し寄せてきて、頭の中がごっちゃりしている。
興奮としかいいようのないものがまだ持続している。
(ただ、それは「感動」とは別種のものである)」
「いい映画を『観た』というより、いい映画を『観てしまった』。
たぶん、あと数年は観返せない。
この「興奮」を受け止められなるにはまだ余裕がない」
とも書いていて、僕も違和感を感じはしたものの、その美しい風景描写と相まって、とても強い印象を受けはしたのだった。そしてその印象を引き摺るように見返し、気になるシーンのコマを止めることにより、新たな発見と深読みに出会い、さらに心が揺さぶられることになった。
そこで僕が(勝手にそう)感じた、貴樹と明里のすれ違い方の救いの無さに対する感傷を、最もファンタジーの中にいるように思えた花苗のストーリーが、程よく中和してくれるのだ。
当たり前と言われればそれまでの話ではあるが、2人が互いに願いながらもずっと一緒にいることが出来なかったように、花苗も、貴樹と互いに好きあう関係にはなれなかったのだ。報われないことはあるという当たり前の、しかし、つい貴樹と明里に強くフォーカスして、必要以上にそれを悲劇的に受け止めてしまいそうな自分に、花苗は適度な現実的なブレーキをかけてくれた。
そしてその現実感が、さらに2人の思いの手触りを確かなものにしてくれたと言える。
ラストシーン。電車が通り過ぎた時、明里はそこにいなかった。我々はつい先程見たばかりの、あの頃はそこで踏み切りよ早く上がれとばかりに待ち構えていたであろう、あの少女はもういない。しかし貴樹は、一瞬驚いたような表情になるものの、ほんの僅かながら、微笑みを浮かべ、踏み切りが上がると同時に確かな足取りで歩き出した。
もしかしたら、ようやくここで初めて、貴樹は明里に対して「きっと大丈夫」だと思うことが出来たのかもしれない。そうは言っても、一部で囁かれているように鬱エンドと捉えることも充分に可能だとは思うのだけれども、しかし、やはりこれはハッピーエンドなのだろう。きっとここから、2人はそれぞれの人生を、力強く歩み始めることが出来るに違いない――特に根拠もなく、直感的に僕はそう思った。
単純に、男はぐじぐじ引き摺りやすくって、女性はそこら辺強い、って思ったりもするんですけどね(苦笑)。
まあしかし、何とも妙な残り方をする作品であり、とにかく興味を持ったなら見ていただければ、とは思います。誰しもにオススメ、というわけではないのですが。
ただ、この映画は、第一話のところで書いたとおり、自分の記憶がベースとなって(別にそんな甘酸っぱいエピソードなんぞなくても)、強く感傷を刺激される作品であると思います。誰かを好きになり、その思いが届かなかったことがある人であれば、心のどこかしらを突っつかれる何かがあるのではないでしょうか。